描いてゆくよ~伊豆の旅からの贈り物~〈後編〉
つづき・・・
11月中
細江町にある
カフェギャラリー 寸座フランセ さんで
開催させていただいた
『愛の絵言葉展』
その時
今回のツアーにも
一緒に行ってくれた
いとうめぐみちゃんが
何を描いていいか迷い悩む私に

かつみちゃんは
神仏を描いていく人だと想う
描いて欲しい 観てみたい!
それに対して私は
知らないのにお描きするなんて
烏滸がましいことできない
でも
気がついたの。
愛の絵言葉でお相手の事を
すごくよく知らなくても
目の前のあなたを想い
幸せや豊かさを祈り願い
お役に立たせてください
描かせていただきます
そうして
お描きさせていただくと
とても とても
感激して喜んで下さる。

神様や仏様も
同じなんじゃないだろうか。
お慶びになるのではないだろうか。
そう想ったら
描きたくて仕方なくなったの
そしてもっと知りたくなった
今回の旅で磐長姫命を知り
昔の私みたいで驚いた。
今の私だけを知る人は
そんなふうに全然見えない!
そういってくれるんだけど

小学校高学年から中学、
高校くらいまではね。
自分の容姿が嫌で嫌で
鏡をみるのが苦しくて
友達と一緒に
トイレで鏡に写るのも嫌。
美容院で自分を
見てるのがつらくて
髪の毛さえも
母に切ってもらうほど。
なぜか目立つ表舞台に
抜擢されることがあった反面
目立ちたくないよ
そっとしといてよ。
そんな想いが
思春期にずっとあった。
今は想う。
鏡に映っている
自分自身の中にある
本当の想いに
正直に生きていない自分
をみて
こんな自分は自分じゃない!
そんな自分は醜い!
そんな私は嫌い!
そう感じていたんだなぁって。
常に
私はどうありたいか
なぜそう想うんだろうか
感じて考えて
迷いを迷ったままにせず
苦しくも向き合い
気付きにかえては
自分自身を好きになれるよう
愛してあげられるよう
自分の心に
素直に生きようと
一歩一歩あゆんできた
だからこそ
今はね
鏡に写る私自身の笑顔をみると
安心したり
元気をもらうよ

磐長姫命は
淡々と
私はわたし。
とすべきことを全うできる
強さ・たくましさがある。
そして様々な神さまの中でも
真の豊かさを持つ神様だと
言われる磐長姫命は
自分自身を見つめ
自分の中の真実を
観ることのできる強さがある
それは
弱さも醜さも
あることを受け入れ認め
それを無きものにするのではなく
包み込む優しさから
備わった強さ
なんだと思う。
己の中にある真実と
常に向き合い葛藤しながらも
自分を愛することの真なるものを
本当の意味で体得したから
なのかもしれない。
磐長姫が自分自身の
本当の美しさに気付き
受け入れた時
きっと
姉妹の絆も
より深きものになり

その2人の寄り添う心が
この御神木に現れていて
2人がまた再会「逢う」ことから
「逢う瀬→大瀬」
と名付けられたのかな

どちらかにあって
どちらかにない
ではなくて
自分自身の
本当の豊かさや美しさに
気付き受け入れたとき
「ない」と思っていたはずの
憧れが自分自身の中に
もう存在するということ。

あなたは私で
私はあなた

そう想えることが
自分とひとつになれることで
それは
地球とひとつになることで
宇宙と一体になることにまで
繋がってくるような感覚

私が今まで歩んできた
人生という名の道と
磐長姫命を重ね
感じることができたおかげで
私自身の中に秘められた
避けては通れぬ道の
霧が晴れた。

何故だかわからないけれど・・・
この感覚は言葉で表現しきれない。
でもここに
私の中の真なるもの
があることを知った から。
もう無視はできない。
今。
忘れていた名を思い出し
ありがとう
と受け取ったから。
私の中にいる
磐長姫命の心がきっと喜んでる。
だからこれからは
私を助け 私を導き
私と出逢って下さる方々に
もっともっと
お役に立てるようになっていく
そんな気がする

ちなみに
木花咲耶姫命は
容姿が美しいことを
悔やみ苦しんだ時期が
あったように感じます
大切な姉を
傷つけてしまったと。
愛する人にも
見た目の美しさだけしか
みてもらえない辛さを抱え
心の美しさに
気付いてもらえぬ寂しさに
心痛めたことも
あっただろうな。
表面的な
華やかさや豊かさ
それだけを
見るんじゃなくて
本当の私をみて。
苦しく自分を否定していた
過去の私も私だから
そこを見て
受け入れてきたからある
今の私。
私が想うってことは
ほかの誰かも
そう想ってるんだと思うの。

未知なる自分自身の探求は
私ひとりの命ではなく
命を繋いでくれた何億人もの
ご先祖様たちの喜びであり希望。
そう感じる。

ツアー2日目の
12月28日。
雲見浅間神社にて
正式参拝後
神前で絵を描き
奉納させていただきました。

私が磐長姫を。
絵麗さんが龍と富士山を。

自分自身を満たすことに
繋がった神前奉納。
この神前でお描きした感覚は
倖せに満たされ
暖かい光に包まれた感じ
そして そして
伊豆の壮大な歴史と成り立ち。
ジオナビゲーターの
逸見さんが伊豆のことを
詳しく教えてくださったからこそ
海や山、岩、空、木、、、
その全てを
愛しく豊かな気持ちで
感じることが出来た旅でした

雲見浅間神社の石段を上がり
山をのぼる道中が
ほんっっとに厳しくて(;▽;)

でも登り切った先に。
絶景
この素晴らしき景色を観た先人が
愛する人に魅せたい。
未来に残したい。
その想いで石段や道を
作ってくれたんだろうと
想いを馳せると
有り難くて
なんだかちょっと切なくて
手をあわせたくなるの。
私が命尽きた後。
豊かな心で
自分も人も愛し
自分に出来ることは
何だろうと
懸命に生きていく
子孫の様子を
観て感じたならば
嬉しくて
嬉しくて
応援したくなるでしょう。
同じ地球に生きる
この宇宙に存在する
生命という尊き全ての命に
そう想うでしょう。

いまはまだ知識はないの。
でももっと知りたい。
感じたい。
あなたは私で
わたしはあなた
その感覚が本当ならば
私自身の魂が
喜んでいることは
あなたも喜ぶこと。

私は私のできることを
していきたい。

神さまや仏さまは
私たち一人一人の中に
いつも存在しているから。

私たち一人一人が
尊く素晴らしい存在だと
真に感じられること

あなたが
わたしが
心満たされて
生きていけること

それが一番
大切だよね

迷いながらも
こうして道しるべを
与えてくれる
私自身の感情に
素直に従うこと。
私自身が喜びに満たされて
生きていくこと。
それこそが
誰かのお役に立てるということ。
生まれた作品は
どんなときも
あなたを見守り
あなたを支え
あなたを信じ
あなたを倖せにしたいと
心から願い祈る
だからね。
あなたに
わたしに
寄り添う作品を
描いてゆくよ。

愛と感謝を描くイラストレーター えだむら かつみ
11月中
細江町にある
カフェギャラリー 寸座フランセ さんで
開催させていただいた
『愛の絵言葉展』
その時
今回のツアーにも
一緒に行ってくれた
いとうめぐみちゃんが
何を描いていいか迷い悩む私に

かつみちゃんは
神仏を描いていく人だと想う
描いて欲しい 観てみたい!
それに対して私は
知らないのにお描きするなんて
烏滸がましいことできない
でも
気がついたの。
愛の絵言葉でお相手の事を
すごくよく知らなくても
目の前のあなたを想い
幸せや豊かさを祈り願い
お役に立たせてください
描かせていただきます
そうして
お描きさせていただくと
とても とても
感激して喜んで下さる。

神様や仏様も
同じなんじゃないだろうか。
お慶びになるのではないだろうか。
そう想ったら
描きたくて仕方なくなったの

そしてもっと知りたくなった

今回の旅で磐長姫命を知り
昔の私みたいで驚いた。
今の私だけを知る人は
そんなふうに全然見えない!
そういってくれるんだけど


小学校高学年から中学、
高校くらいまではね。
自分の容姿が嫌で嫌で
鏡をみるのが苦しくて
友達と一緒に
トイレで鏡に写るのも嫌。
美容院で自分を
見てるのがつらくて
髪の毛さえも
母に切ってもらうほど。
なぜか目立つ表舞台に
抜擢されることがあった反面
目立ちたくないよ
そっとしといてよ。
そんな想いが
思春期にずっとあった。
今は想う。
鏡に映っている
自分自身の中にある
本当の想いに
正直に生きていない自分
をみて
こんな自分は自分じゃない!
そんな自分は醜い!
そんな私は嫌い!
そう感じていたんだなぁって。
常に
私はどうありたいか
なぜそう想うんだろうか
感じて考えて
迷いを迷ったままにせず
苦しくも向き合い
気付きにかえては
自分自身を好きになれるよう
愛してあげられるよう
自分の心に
素直に生きようと
一歩一歩あゆんできた
だからこそ
今はね
鏡に写る私自身の笑顔をみると
安心したり
元気をもらうよ


磐長姫命は
淡々と
私はわたし。
とすべきことを全うできる
強さ・たくましさがある。
そして様々な神さまの中でも
真の豊かさを持つ神様だと
言われる磐長姫命は
自分自身を見つめ
自分の中の真実を
観ることのできる強さがある
それは
弱さも醜さも
あることを受け入れ認め
それを無きものにするのではなく
包み込む優しさから
備わった強さ
なんだと思う。
己の中にある真実と
常に向き合い葛藤しながらも
自分を愛することの真なるものを
本当の意味で体得したから
なのかもしれない。
磐長姫が自分自身の
本当の美しさに気付き
受け入れた時
きっと
姉妹の絆も
より深きものになり

その2人の寄り添う心が
この御神木に現れていて
2人がまた再会「逢う」ことから
「逢う瀬→大瀬」
と名付けられたのかな


どちらかにあって
どちらかにない
ではなくて
自分自身の
本当の豊かさや美しさに
気付き受け入れたとき
「ない」と思っていたはずの
憧れが自分自身の中に
もう存在するということ。

あなたは私で
私はあなた

そう想えることが
自分とひとつになれることで
それは
地球とひとつになることで
宇宙と一体になることにまで
繋がってくるような感覚

私が今まで歩んできた
人生という名の道と
磐長姫命を重ね
感じることができたおかげで
私自身の中に秘められた
避けては通れぬ道の
霧が晴れた。

何故だかわからないけれど・・・
この感覚は言葉で表現しきれない。
でもここに
私の中の真なるもの
があることを知った から。
もう無視はできない。
今。
忘れていた名を思い出し
ありがとう

と受け取ったから。
私の中にいる
磐長姫命の心がきっと喜んでる。
だからこれからは
私を助け 私を導き
私と出逢って下さる方々に
もっともっと
お役に立てるようになっていく
そんな気がする


ちなみに
木花咲耶姫命は
容姿が美しいことを
悔やみ苦しんだ時期が
あったように感じます

大切な姉を
傷つけてしまったと。
愛する人にも
見た目の美しさだけしか
みてもらえない辛さを抱え
心の美しさに
気付いてもらえぬ寂しさに
心痛めたことも
あっただろうな。
表面的な
華やかさや豊かさ
それだけを
見るんじゃなくて
本当の私をみて。
苦しく自分を否定していた
過去の私も私だから
そこを見て
受け入れてきたからある
今の私。
私が想うってことは
ほかの誰かも
そう想ってるんだと思うの。

未知なる自分自身の探求は
私ひとりの命ではなく
命を繋いでくれた何億人もの
ご先祖様たちの喜びであり希望。
そう感じる。

ツアー2日目の
12月28日。
雲見浅間神社にて
正式参拝後
神前で絵を描き
奉納させていただきました。

私が磐長姫を。
絵麗さんが龍と富士山を。

自分自身を満たすことに
繋がった神前奉納。
この神前でお描きした感覚は
倖せに満たされ
暖かい光に包まれた感じ

そして そして
伊豆の壮大な歴史と成り立ち。
ジオナビゲーターの
逸見さんが伊豆のことを
詳しく教えてくださったからこそ
海や山、岩、空、木、、、
その全てを
愛しく豊かな気持ちで
感じることが出来た旅でした


雲見浅間神社の石段を上がり
山をのぼる道中が
ほんっっとに厳しくて(;▽;)


でも登り切った先に。
絶景
この素晴らしき景色を観た先人が
愛する人に魅せたい。
未来に残したい。
その想いで石段や道を
作ってくれたんだろうと
想いを馳せると
有り難くて
なんだかちょっと切なくて
手をあわせたくなるの。

私が命尽きた後。
豊かな心で
自分も人も愛し
自分に出来ることは
何だろうと
懸命に生きていく
子孫の様子を
観て感じたならば
嬉しくて
嬉しくて
応援したくなるでしょう。
同じ地球に生きる
この宇宙に存在する
生命という尊き全ての命に
そう想うでしょう。

いまはまだ知識はないの。
でももっと知りたい。
感じたい。
あなたは私で
わたしはあなた
その感覚が本当ならば
私自身の魂が
喜んでいることは
あなたも喜ぶこと。

私は私のできることを
していきたい。

神さまや仏さまは
私たち一人一人の中に
いつも存在しているから。

私たち一人一人が
尊く素晴らしい存在だと
真に感じられること

あなたが
わたしが
心満たされて
生きていけること

それが一番
大切だよね


迷いながらも
こうして道しるべを
与えてくれる
私自身の感情に
素直に従うこと。
私自身が喜びに満たされて
生きていくこと。
それこそが
誰かのお役に立てるということ。
生まれた作品は
どんなときも
あなたを見守り
あなたを支え
あなたを信じ
あなたを倖せにしたいと
心から願い祈る
だからね。
あなたに
わたしに
寄り添う作品を
描いてゆくよ。

愛と感謝を描くイラストレーター えだむら かつみ